本当に美味しい削り節を世の中へ。創業から約100年、本物にこだわる削り節屋の矜持と新たな出発
削り節の製造販売などを手掛ける「株式会社丸藤」が本社を置くのは、熱海市の南に位置する港町・網代。天然の良港である網代港は、かつて「京大阪に江戸、網代」と呼ばれ、当時の江戸の物流を支える港町として栄えた歴史があります。
そこで代々続く家業を引き継いだ藤田昌弘さん(49歳)は、「本当に美味しいものを広めたい」とこだわりの削り節作りに取り組んでいます。
網代から全国の飲食店や旅館への販売に留まらず、昨今では新たな事業も動き出しています。創業から約100年。これまでの歩みや商品へのこだわり、そして今後についてを伺いました。
感覚的に「美味しい」ではだめ。こだわり抜いた削り節
株式会社丸藤のレンガ色のビルが見えてくるよりも先に、周囲からは鰹節の良い香りが漂ってきます。同社は1926年の創業以来、約100年もの間、真摯に鰹節作りに向き合ってきました。
「昭和の時代、漁業が盛んだった網代には、水揚げされた鰹などで節を作る『煮屋』が何軒もあったそうです。1926年、3代前の藤田信吉が煮屋を営む実家から独立し、鰹節製造業の『藤信商店』を創業しました」
事業を引き継いだ先代は、より良い製品作りのために尽力します。鰹節をもっと美味しくするにはどうすればいいのか。試行錯誤しながら、製造方法を変えたり設備投資して品質を向上させる日々でした。「夕飯時しか家族団らんの時間がないほど、親父はせわしなく働いていました」と当時を振り返ります。
その後、1986年に設立された「株式会社丸藤」を引き継いだ藤田さん。「自分の代と先代とで大きく違うのは『鰹節屋』というより『削り節屋』という意識が強いこと」だと言います。
「平成に入ると、網代港での漁獲量が格段に減り、地元での鰹節製造は断念するしかなくなりました。現在鰹が多く揚がるのは、港に大型船が入る静岡県・焼津のほか、鹿児島県の枕崎と山川などに限られています。
そもそも良質な鰹節の原料は非常に少なく、世界中で水揚げされた鰹のうち、鰹節の原料となるのは1割程度です。また、良質な鰹節作りに欠かせない高品質な鰹はなかなか獲れません。獲れたとしても、臭みが出ないように手早く処理する必要がある。生産者と二人三脚で品質を追求しています」
丸藤では、先の3箇所から鰹節の原料を仕入れ、時間をかけて熟成。加えて、料理に合わせて100分の1ミリ単位で削る作業を行うなど、細部までこだわり抜いた削り節を提供しています。
「『味の安定』と『より良い味』を同時に追い求めて、新しい機材を導入したり保管方法や期間を変えるなど、工程も柔軟に更新しています。
削り節の命は味と香り。原料によって味が左右されるからこそ、丸藤では完成品の味・香りなどを数値化し、裏付けも取っています。感覚的に『何となく美味しくなった』と捉えるのではなく、裏付けされた確かな品質の削り節を提供することを大切にしています」
夢は税理士。事業を継ぐつもりはなかった
誰よりも「本物」を追求した削り節づくりを手がける藤田さんですが、18歳で会社に入社したのは、家族への恩返しのためでした。
三兄弟の末っ子として生まれ、税理士になろうと私立高校に進学、しかし、15歳の時に先代が急逝し、学費の負担をかけまいと自主退学の希望を家族に伝えます。
「親兄弟に止められ、家業が苦しいなか高校を卒業させてもらいました。その恩を返そうと、卒業後の3年間を奉仕する約束で丸藤に入社し、配達や営業、製造などを経験しました。ですが、21歳になっても辞めさせてもらえなかったんですよね(笑)」
それからの2年間、藤田さんは辞めたい気持ちを抱えながらも仕事と真摯に向き合いました。そして23歳の時、事業に専念するきっかけが訪れます。
「当時、売上を伸ばしていた丸藤は、東京での販路拡大のため、築地に新たな営業所を開設しました。そこを一任されてやる気になり、利益を出そうと必死に働きました」
日本の食の中心地、築地に拠点を構えた藤田さんは、競合の削り節の品質の高さに驚かされました。売上の前にまず品質、と本気で削り節と向き合う日々が始まりました。
「良質な原料の供給先を求めて鹿児島などに出向き、生産者の方と交渉、新たな供給先を開拓していきました。
供給先が見つかった後も、仕入れた物に対する感想は率直に伝え、真剣さを伝えていきました。その積み重ねがあるからこそ、生産者の方が品質向上に力を貸してくれるのでしょう」
こうして作り出した商品を武器に、東京営業所の業績は伸びていく一方で、営業地域が限られる網代本社は業績が落ち込み、藤田さんは28歳で呼び戻されました。
「兄貴もいるのに、自分が戻っていいのかとても迷いました。そんな時にお世話になった方に相談したところ、『いつまで悩んでいるんだ』と言われて。尊敬する方からの言葉が強烈に響き、とにかくやってみようと会社を背負う覚悟が生まれたんです」
成功体験に固執せず、新たな軸や「伝え方」を増やしていく
先代の時には伊豆周辺や箱根がメインだった販路も、現在は全国まで拡大。藤田さんが牽引して新しい商品開発にも注力し、今では全国各地の高級店や老舗店で、丸藤の削り節が使われています。
2020年は、業務用商品の売り先がコロナ禍により休業した影響などから、売り上げが一時落ち込みました。ですが原点回帰の時期と捉え、丁寧に味の追求や新規開拓に取り組むことで、2021年は2年前と同等の売り上げ規模に戻ってきました。
一方、「当社の売り上げのほとんどはtoB事業です。今回のコロナ禍で脆さを痛感しました」と言います。そこで藤田さんは、丸藤が作り出す「本物の美味しさ」をより多くの人に知ってもらおうと、toC展開も新たに模索し始めました。
「以前、知り合いの若者に『丸藤の削り節を使ったら、料理の味が劇的に変わった』と驚かれたことがありました。今後も、私たちの商品を通して“本物の美味しさ”をより多くの方に知っていただきたい。そのために、一般家庭でも使いやすい商品の製品化に取り組んでいます。
先代の時からtoB販売に注力し、私の代では販路をさらに広げてきました。toB戦略で成長してきたという成功体験は持っているものの、そこに固執したり変に守ろうとすると必ず弊害が生まれます。本当に美味しいものをどう伝えていくか、今後も模索していきたいです」
社員とその先の地域に、笑顔を届けていきたい
「本物の美味しさ」を伝える方法を模索するなか、丸藤は新しい事業創出も視野に入れて、2019年に本社の1階で鮮魚店の運営を始めました。
かつては港町として賑わいを見せていた網代ですが、現在は魚屋が一軒もなく、魚を届ける機会や食べる機会が減っていました。スーパーに買い出しに行くにも苦労し、魚をなかなか食べられないお年寄りも少なくありません。
「課題を感じていたところ、魚好きで詳しい30代半ばの従業員がいることを知りました。その時『もともと持っていた仲買人の権利を活かして、彼に鮮魚店をやってもらおう』と思いついたんです。
鮮魚店をオープンさせたことで、ご高齢の方々が『魚を久しぶりに食べた』と喜んでくれた。その顔を見て嬉しかったですし、励みにもなりました。
正直これまでは、社員やお客様、そして生産者のため、事業を安定させることに手一杯で、街のことは二の次でした。ですがこれからは、地域から求められることに対して、できることは逃げずに取り組んでいきたいと思っています」
今後、丸藤は本社近くにある販売所もこの1階部分に集約させていく予定です。
「現在分れている機能を集約させるだけではなく、丸藤の今後や大事にしたいことと向き合いながら、この空間をどういう場にしていくのか。形にしていきたいです」
また、1階の改築と同時に社員が働く2階のスペースも改装、今以上に働きがいのある会社を目指していきます。
「私が何よりも大事にしたいのは、丸藤で働いてくれる従業員です。会社が苦しい時、何度も支えてくれたのは社員たちでした。
彼らが生き生きと働ける環境づくりに始まり、先ほどお話しした鮮魚店の事例のように、従業員がやりたいことや得意なことに挑戦できる組織にしていきたいと思っています。
現在、商品の味を決める全責任は私が持っていますが、それ以外で私にできることは限られています。頼れる彼らとともに、『本物の美味しさ』を広く伝えていきたい。そして事業を通じて、社員にも笑顔を届けていきたいです」
取材・文:流石香織、写真:栗原洋平、株式会社丸藤 提供
PROFILE
担当者:藤田昌弘(代表取締役社長)
住所:静岡県熱海市網代458-3(本社・事務所・工場)
Tel:0557-68-4147
Mail:info@marufuji4147.co.jp
Web:https://www.marufuji4147.co.jp/
設立:1986年7月(創業は1926年)
資本金:1,000万円
事業内容:削り節製造販売、鰹節原料卸売、液体調味料販売、鮮魚産地直送販売、海産物産地仕入直販売
主要取引先:株式会社なだ万/株式会社ニューオータニ/リゾートトラスト株式会社/株式会社東急ホテルズ/株式会社東急リゾートサービス/株式会社パレスホテル/株式会社小田急リゾーツ/株式会社ホテル小田急/日本郵政株式会社/富士屋ホテルチェーン/株式会社プリンスホテル/株式会社八芳園/株式会社東京會舘/ハイアットホテルジャパン/東京レストランツファクトリー/ザ・リッツ・カールトン/株式会社JALホテルズ/しゃぶ禅グループ/株式会社ノバレーゼ/株式会社ハーフ・センチュリー・モア/株式会社KPG HOTEL&RESORT/株式会社うかい/株式会社リロバケーションズ ほか