姉妹でわさび漬屋を継ぐ。事業承継×複業で模索するサステナブルな家族経営のあり方
熱海港のほど近く、渚町に本店を構える「中島わさび漬製造所」は、1950年創業の熱海で唯一のわさび漬製造販売店。「わさび漬」の味を守りながら、「わさびアヒージョ」などの新商品開発にも積極的に取り組んでいます。
現在、経営を担っているのは、三代目の中島一洋さん(54歳)・由紀子さん(53歳)夫婦です。最近まで自分たちの代で店を畳もうと考えていましたが、娘の雅望さん(みさきさん/25歳)・愛望さん(あいみさん/23歳)姉妹が後を継ぐと決めたことで、事業承継を決意しました。
家族ひとりひとりがどのような思いを抱え事業承継が決まったのか、会社やわさび漬をどう変化させていきたいのか、中島さん一家に聞きました。
熱海の「おみやげ需要」に応え成長
直営店だけでなく、主に熱海や箱根のホテルでみやげ物として販売されている「わさび漬」は、「熱海に来たらつい買いたくなる」という声が多く、リピーターに愛されています。
「今の味は、二代目である父が初代の味を改良したものです。原料となるわさびや酒粕は天候によって味が変わるので、配合をマニュアル化することが難しく、必ず私が自分の舌で味を確かめて“うちの味”になるよう整えているんです」(一洋さん)
そもそもわさびの栽培には、水がきれいであること、年間を通じて水温は15度前後を保つことなど、厳しい条件があります。
静岡県内では修善寺を中心とした中伊豆が特産地ですが、一洋さんの大叔父が南熱海でわさび栽培に成功。それを活用しようと、創業者である祖父がわさび漬事業を始めたそうです。
1950年代の熱海は、新婚旅行の場所として人気を博し、さらに高度成長期を追い風に多くの旅行客を獲得しました。
「わさび漬屋は熱海市外に多々ありますが、当時、『今すぐうちに(わさび漬を)持ってきてくれ』という宿泊施設からの要望に、もっとも早く応えられていたのがうちだったんです。需要にスピーディに応えたことで重宝がられていたそうです」(一洋さん)
さらに二代目が味を改良したことで、名が広く知られるようになりました。
一洋さんが会社を継いだのは1996年、バブルが崩壊した数年後のことでした。
「熱海に戻ってきたばかりのころはバブル崩壊の影響はほとんど感じませんでしたが、不景気のあおりは10年遅れでやってきました。熱海全体の景気が下降し、当社の売上も緩やかに下がっていきました。それでもまだ売上はあったので、経営を見直そうという危機感はなかったんですよね。本格的にやばいなと思い始めたのは、2010年ごろでした」(一洋さん)
「それまでは従業員が10人近くいて、家の中がにぎやかだったんです。でも、だんだん人を雇えなくなっていき、娘たちも子守をしてくれた人たちがいなくなったり、私が忙しさからイライラすることが多くなり…といった変化を強く感じていたようです」(妻・由紀子さん)
わさび漬屋を残すため、姉妹で継ぐことを選択
変わらざるを得ないと気づいてからというもの、2013年発売のイカ墨を使った「黒わさび」を皮切りに、「わさびアヒージョ」や、若者向けにパッケージをリデザインした朝・昼・夜専用のわさび漬など、新商品の開発に取り組んできました。
ただ、元来わさび漬は原価率が高く、利益を出すのは容易ではありません。新商品の開発だけでは解決の糸口が見つからない日々に加え、核家族化に伴う食文化の変化で、わさび漬けが食卓に上る回数も減るなど、取り巻く環境は厳しさを増す一方でした。
「もう自分の代で事業を畳もうと思っていたんです。今後、わさび漬一本で食べていくのは難しい。娘たちには、苦労させたくないので『継がないでほしい』と話してきました。長女は看護師、次女は歯科衛生士なので、そっちで食べていけますから」(一洋さん)
そんな折、2019年12月に、85年の歴史を持つ渚町のみやげ物店「中野名産店」が閉店し、地元に衝撃が走りました。
次女の愛望さんは中野名産店店主のお孫さんと同世代。自営業者の親を持つ地元の友人から「お前のところはどうするんだ?」と聞かれ、事業承継を本格的に考えるようになります。
「中野名産店の閉店を両親ではなく同級生から聞いたからこそ、自分ごととして考えることができました。曽祖父の代から始まった中島わさび漬製造所は自分を育ててくれたお店。なくしたくありません」(次女・愛望さん)
もともと、「いつか継ごう」と考えていた愛望さんですが、「中野名産店」の出来事や、「今の体制ではあと1年も持たないかもしれない」という母・由紀子さんからの話もあり、「いつか」ではなく「今継ごう」という意識に変わっていきました。
危機感を募らせた愛望さんから相談を受け、長女の雅望さんは驚きつつも、「私も手伝うから、1人で全部背負うのはやめて。お父さんとお母さんのように、二人三脚で考えていこう」とすぐに答えたといいます。
「後を継ぎたいと聞いて、率直にうれしいなと思いました。将来を考えればやめさせたほうがいいとの思いもありましたが、熱意に押し切られたかたちです。娘たちは2021年9月からわさび屋の仕事を始めます。同時に私と妻は、煩雑化している事業をそれまでに整理しておくよう、娘たちから宿題も出されています(笑)。
娘たちが決めてくれたから、私たちも彼女たちに引き継ぐためには今何ができるかを、本気で取り組む覚悟ができました」(一洋さん)
これからは家族一丸となって事業に向き合いながらも、「疲弊しない新しい家族経営のあり方を模索していく」といいます。
当面娘さんたちは、経営の厳しいわさび屋を主な収入源にせず、複業することでリスクを低減しながら事業存続の道を探っていくことにしました。
「収入を得ることより、恩のあるわさび屋を潰さないことを重視しています。私はUターン後も歯科衛生士、姉は看護師の資格を活かし自立しながら、姉妹でわさび漬を文化として残していきたいと思っています」(愛望さん)
自信を持って売れるわさび漬をつくりたい
現在、新型コロナウイルス感染症の影響により、観光業は窮地に立たされています。
観光客をメインターゲットとしていた中島わさび漬製造所は、活動自粛の影響を大きく受けて2ヶ月間以上製造をストップし、ようやく少しずつ動き出した状態。それでも、娘さんたちの決意は揺るぎません。
「コロナ禍で、多くの人が生き方や考え方を見つめ直しています。社会が変わろうとしている今は、ゼロから全部を新しくしていけるチャンスじゃないかと思うんです」(雅望さん)
会社のあり方について月1回のペースでディスカッションし、経費削減などに加えて、今後に向けて挑戦していきたいことも見えてきました。
「ひとつは高級路線の商品開発です。これまでは市場に合わせて価格を下げてきた結果、原材料費や手間に見合わない低価格となり、本当につくりたいものがつくれなくなっていました。現状の価格帯だと厳しいから高価格帯というわけではなく、ターゲットを明確化し、きちんと適正価格で自信を持っておすすめできるものをつくっていきたいんです」(一洋さん)
そしてもうひとつ、コロナ禍だから見えてきた課題もあります。
「観光客の減少を機に、これまでは外に目を向けすぎて、地元のお客様に意識が向いていなかったことに気づきました。飲食店や個人宅での地元消費の喚起も今後の課題です。わさび漬を知らない若い方もいるので、わさび漬の良さを知り、生活に取り入れていただけるようなストーリーを伝えていけたらと思っています」(一洋さん)
最後に、会社の将来を担う雅望さん・愛望さんが地域にとってどのような存在になっていきたいかを尋ねると、次のように答えてくれました。
「周囲を見渡しても、熱海の若者には地元愛が強い人がすごく多いんです。私たちが中島わさび漬製造所を継ぐと決めたことで、事業承継に迷っている同世代にも力を与えていけたらうれしいです。また、上の世代の方々にも、次の世代が来てるという希望を持っていただけたらと思っています」(雅望さん)
取材・文:福田さや香、撮影:保田敬介
PROFILE
有限会社中島わさび漬製造所
担当者:中島一洋(代表取締役)
住所:静岡県熱海市渚町22-2
Tel:0557-81-4051
Mail :wasabi@blue.plala.or.jp
Web: https://www.nakajimawasabi.com
創業:1950年(有限会社設立は1986年5月)
資本金:1000万円
事業内容:わさび漬製造及び販売、卸売業