熱海は「挑戦する人」を応援する。多様な人が関わる街を目指す、熱海市のスタンス
多様な働き方の一つとして複業が注目される中、自身のスキルを活かして地方に貢献したいと考える人も増えています。
UターンやIターンではなく地方で複業するという、個人と地方の新たな関係性。行政はこの動きや変化をどのように受けとめているのでしょうか。
「A-biz(熱海市チャレンジ応援センター)」を通じて熱海市内をはじめ、これから熱海で起業や新たな事業展開をしようとする事業者の支援をしてきた熱海市役所産業振興室室長の長谷川智志さん。行政内部から熱海のまちづくりに関わる長谷川さんに、「複業」についての考えを伺いました
「地方にも人材を呼び込める」という気づき
首都圏の大企業を中心に複業(副業)解禁の流れが加速する中で、新たに「地方で複業」という選択肢が生まれつつあります。
昨年、ビズリーチが実施した「副業・兼業で地域貢献に関わるビジネスプロ人材公募」(現在募集は終了)では、募集企業として4社が手を挙げた熱海。応募者は合計で300人以上と、予想をはるかに超える反響があったといいます。
「正直、かなり驚きました。熱海には首都圏に近いという利便性があります。ただ、これまでは熱海市の企業側に、首都圏からプロ人材が来てくれるという発想自体がありませんでした。地方でもそれができるという気づきになったのではないでしょうか。企業を応援する立場から見て、非常に良いチャレンジだったと感じました」
行政と企業、双方にとっても前例のない取り組み。長谷川さんは、「熱海にはもともと複業したい人を受け入れる土壌があるのではないか」と分析します。
現在も観光業を中心に市外からの通勤者が多い熱海は、歴史的に見ても外部からの人々が関わることで栄えてきた街という側面を持ちます。
「その新しい形のひとつが、複業なのかもしれません。外部から来た方は、地域にずっといる私たちとは違う視点を持っています。ずっと住んでいると、街の短所も長所にも気づきにくい。ですから新たな視点で熱海の良いところに気づいて教えてくれるのがうれしいです。
一方で複業に来た方も、熱海で得たものを首都圏の仕事に持ち帰ってくれているのではと思っています」
市民に限らず「熱海で挑戦する人」を応援する
熱海での複業受け入れがスムーズにスタートした背景として、外部の人を受け入れやすい土壌という以外に、そもそも熱海市が複業に限らず「熱海で挑戦する人」を応援することを明確に打ち出している点も挙げられます。
熱海市役所や市内のシェアオフィス「naedoco」には事業者の支援を行う「A-biz」の窓口を置き(木・金曜限定。月〜水曜は市役所内)、相談に訪れた事業者の強みの発見や情報発信などを支援してきました。
そこには市の方針として、「リソースが限られている中、誰を支援するのか、ターゲットを明確にするべき」という考えがあるといいます。
「熱海に来たい理由が明確であり、熱海でなくてはできないことをしたいという方々を応援するというスタイルです。行政なので誰にでも平等に支援すべきという前提はありますし、実際にこの方針を打ち出し始めた2012年当時は、一部の市民の方から『優劣をつけるのか』と批判もありました。
ですがそこをクリアして、一歩踏み出して挑戦する人を応援しようと。これは住民でなくても、熱海に事業所や企業がなくても、思いがある方全員を対象としています。結果的には熱海の事業者や人々の暮らしにも関連していくと考えていますので」
複業の受け入れも、「企業がこれまでより一段高い位置へと上がることにつながるのでは」と話す長谷川さん。新たな取り組みを通じて、複業したい人と事業者の双方が自らの可能性を広げていくことへの期待をにじませます。
「熱海で挑戦したい方は、『A-biz』でも産業振興室でもいいので一度ご相談に来てほしいですね。大切なのは、行政が一方的に施策を打ち出したりお金の補助をするのではなく、何が必要なのか、何を応援してほしいのかをしっかり伺うことだと思うんです。お話しいただくことで、適切な人や事業者を引き合わせるなど、本当に欲しい支援をしていけると考えています」
さまざまな形で街に関わる人がいて、循環していけばいい
熱海の人口は1965年の約5万4500人をピークに減少し続け、現在は約3万7000人と4万人を切り、高齢化による生産年齢人口の減少も進んでいます。そうした課題に対し、熱海は「移住促進」を打ち出すのではなく、広く街に関わる人を増やそうと取り組んできました。
「さまざまな立ち位置の人に関わってもらうことで、“熱海の人”を増やそうというのが現在取り組んでいる柱の一つです。住民や移住者だけでなく、遊びに来てくれる方、仕事で訪れる方、一度住んでから他の地域に移っても定期的にまたやって来る方と、いろいろな方がいてよくて、その方たちが循環していけばいいと思っているんです。
何を目的に来たかで区別するような街ではないですから、複業したいという方もがんばるところはがんばりつつ、遊びも取り入れて熱海を楽しんでほしいですね。そういう人のほうがこの街には合うと思いますし」
課題は多いが、一方で東京にはない経験が積めるのではないか。「熱海」という挑戦の場を、その人自身のキャリアにも生かしてもらえたら、と長谷川さんは続けます。今後も、市民や民間企業とも連携しながら、複業をはじめさまざまな形で熱海に関わる人を増やす取り組みをしていくといいます。
「行政として一番やらなければいけないのは、民間から生まれた取り組みを、『熱海市として同じ方向を向いています』と言い切ること。市としても受け入れる体制があるという姿勢や、共にこうなりたいというビジョンを示すことが大事なのかなと思っています」
熱海にとっても、まだスタートしたばかりの複業受け入れ。大手企業をはじめ複業が解禁した反面、全国的に「地方×複業」の事例はまだ少ないのが実情です。そんな中「いずれ熱海での事例をひとつのモデルケースにできたら」と長谷川さんは話します。
「複業したい方と地域の間で橋渡し役となってくれる市民の存在や、一つのプロジェクトが終わっても続く人と人との関係づくりなど、熱海だからできている取り組みもあると思います。そうした地域にうまく溶け込んでもらう仕組みを熱海モデルとして確立し、発信していけるといいですね」
取材・文:福田さや香、撮影:岡田良寛
PROFILE
熱海市役所産業振興室 室長
1974年熱海市生まれ。1993年熱海市役所入庁。徴税、情報管理、児童福祉、観光、総務部門を経て、2015年観光経済課産業振興室に配属。地域の事業者(個店)や起業創業の支援を通し、現代の自治体経営において危機感を感じるように。「現実」を直視したうえで、衰退の要因は誰のせいでもなく、「自分たちのまちの問題」だととらえた。遊休不動産再生だけにとどまらない、様々な魅力ある人と元々ある素晴らしいコンテンツを活用する、民間主導の公民連携の熱海型リノベーションまちづくりを進めている。